「ポーカープロを10年やってる人は圧倒的にやめたいと思う人が多い」余語葦織のポーカーとの出会いと若者へのメッセージ

余語葦織(Yogo Iori)愛知県名古屋市出身 2010年からポーカープロとして活躍
2013ANZ Piece of The Year 2016APT Piece of The Year 日本人獲得賞金ランキング5位(2022年現在)

プロポーカープレイヤーインタビュー第4弾。今回登場するのはポーカープロの余語葦織さんです。

取材場所はなんとフィリピン!GGPoker Manilaに会場をお借りし、このインタビューが実現しました。

10年以上ポーカープロとして活躍する余語さんに、ポーカーとの出会いとポーカープロになるまでどういう経緯を辿ったか、そしてポーカープロという職業に今何を思うかについてお聞きしました。

ポーカーとの出会いを教えてください

僕はカナダの大学に通っていたのですが、大学2年生の時に友達に教えてもらいました。

日本のボードゲームサークルとかはほとんどお金をかけてないと思いますが、海外の大学だとほぼ100%お金を賭けています。日本の麻雀と近いイメージですかね。

僕がポーカーに出会ったのは2002年なのですが、当時はホールデム一色ではありませんでした。

テキサスホールデムがメジャーになったのはクリスマネーメーカーが2003年に優勝したことがきっかけなので、僕が大学2年生の時に友達と遊ぶポーカーはほとんどがミックスゲームでしたね。

ただ、僕が友達とやっていたミックスゲームは多くの人がイメージする、8gameの種目だけではなく、ホームゲームにしか存在しないゲームもたくさん遊びましたね。Hi/Lo Declare, Follow the Queen, Chicago, Pass the Trashなど。Chicago(StudでHighとHole Cardsの一番高いスペードのsplit potゲーム)なんかはクソゲーでしたが、Follow the Queenは面白かったですね。これもStudで、Qの次に出たカードがWildになるんですが、再びQが出るとWildが変わってしまうんです。

それがクリスマネーメーカーブームによっていつの間にか、みんなホールデムしかやらなくなっていきました。

その当時からポーカープロを目指していたのですか?

当時はカナダで数学の先生になろうとしていました。人に教えるのが好きなので、向いているかと思って。

カナダで数学の先生になるには数学科を4年過ごしてから、その後教育学部に1年入ります。

僕が通ってた学校はカナダではトップ校でしたが、成績がパッとしなくて、その大学の教育学部に落ちてしまいました。一応滑り止めには受かりましたが、期日までに入学金を入れるのを忘れていて、取り消されてしまいました。

その後は日本でアクチュアリーっていう数学の仕事を目指したり、大学の支援教員をしたりしていました。

そのころが一番、迷走していたと思います。同窓会に行きたくない時期でしたね。

どこで専業になりましたか?

アングラとプライベートゲームやホームゲームの境界線は曖昧ですが、名古屋にあったポーカールームですね。そこ出身のプロも多いんですよ。

そこは、道場みたいな雰囲気もあって、よくセッションが終わった後に、その中で真剣にやっていたメンバーで討論会をしていました。当初はディーラーも交代でやっていたので、まさにホームゲームみたいな感じでしたね。

2009年から行き始めたのですが、その時はまだ昼の仕事をしていましたね。週3,4くらいで夕方の7時とかから夜の3時までいるみたいな生活をしていました。

¥50-100と¥100-300があって、最初は ¥50-100から始めました。、3~4ヶ月やって時給20BBくらい出ていました。¥100-300のテーブルもあったんですけど、高いので日和っていました。

ただ、興味はあったので、ある日「プレイはしないからディーラーだけやらせてくれ」と言ってやらせてもらったら、¥50-100より少し辛いぐらいでした。

これは流石に日和ってる場合ではないと思い、「ディーラーだけって言ったんですけど、プレイしてもいいですか?」と言って、そこからは100円300円をプレイするようになりましたね。

成績が良かったので昼の仕事を辞めて、ポーカーに専念するようになりました。プレイングディーラーもほぼ僕がするようになり、2〜3年やって、時給11BB出ました。ダブルデッキでプレイングディーラーしながらの成績なので頑張ったかなと思います。

普通だったら、「あんなポーカールーム行かね」ってなるでしょ。「なんか一番強いやつがプレイングディーラーしてるんだけど」って(笑)

それに加えて、僕は言いたいことは言い放つタイプの人間なので、「空気読めねえな、社会わかってないな」と最初は悪く言われることも多かったのですが、最終的にはムカつく愛されキャラみたいな感じになりましたね。

「きょう葦織いる?」「葦織いるなら行くよ、あいつぶっ倒さないといけないからな!」って来てくれて。で、返り討ちにする(笑)

「もうぜったい来ないからな!!」とか言ってるのに数日後には来てくれる。楽しかったですね。(笑)

いつ頃から海外が主戦場になりましたか?

2012年からベガスやマカオには時々行っていましたが、転換期になったのは2013年ですね。

仲間6人とオーストラリアに行ったのですが、物価が高いので、6人でドミトリーを貸し切りました。ドミトリーでも1人25ドルくらいしたと思います。

そこで開催されていたトーナメントで連続で優勝、準優勝を取ることができて、それがきっかけでトーナメントを本格的にやってみようと思いました。

その後は各国をスーツケース1個で転々としてパーマネントトラベラーのような生活をしていましたね。

ーーいつ頃からマニラに住むようになったのでしょうか?

2016年マニラに部屋を借りて、妻と結婚したのが2018年なのですが、30日以上連続でマニラに滞在することはなかったですね。

APTなどに出てすぐ次のトーナメントに行くので、マニラに住んでるという感じではなかったです。住んでいるという感覚を持ち始めたのは、実はパンデミックが始まってからです。

ポーカープロを目指す若者へのメッセージ

現実的に考えてポーカープロより良い職業は他にいくらでもあると思います。しかし本人がやりたい以上、挑戦すればいいのではないかとも思います。

しかし予め知っておくべきこととして、ポーカープロを10年以上やっている人で「ポーカーをやってきてよかったし、これからもポーカーを続けていきたい」と前向きな気持ちで挑んでいる人は本当にごく少数です。大多数は「辞め時」を模索しています。それを理解した上でチャレンジしてもらいたいです。

特に結果が出せなくなった人は綺麗に辞める人が本当に少ないです。個人的にも1人か2人しか知りません。周囲に金銭的被害を及ぼした後に消えるってのはザラです。そのため、失敗した時のバックアッププランを考えておくのは有意義かと思います。

兼業という選択肢もあります。以前、Zakiさんが「いずれ優秀な人達が参入してきたら俺達なんてすぐ抜かれる」と言っていたことを思い出します。そして実際にリリアンさんを始め、にりすけさんやプロポ君といった「本業もしっかりしてる上にポーカーでも凄く勝ってる」人達が出てきました。今後こういう人達が増えていくと思いますね。

大学生は卒業することを強く勧めます。どうせほとんどのカジノは20〜21歳にならないと入れないので、その頃には卒業もあと少しじゃないですか。そこはプロに挑戦するのを1〜2年遅らせても卒業しておいた方が良いと思います。

しかし僕の年齢になると、学士号を持っていたところで大した役にも立たないので、プロを続けるにしても辞めるにしても難しい判断に迫られます。

僕自身が今プロとして生き残れるかの正念場を迎えてます。青臭い話ですが、プロになった時に同じくプロになった親友と「生涯現役でいよう」と約束したので、自己資金が続くうちは諦めずに頑張るつもりです。

僕のバンクロール管理は非常に保守的なので、それで破産したら最早勝てない、或いは生活費を捻出するほど勝てない、ということなので諦めざるを得ないですね。

その時には周りに迷惑をかけずに身を引きたいと思っています。

取材・文/森 大維河

Author: wpadmin

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